温もりホットヨガ坂戸店、インストラクターの
makiです。
こんばんわ。
前回、道徳律が大切だという話をしました。
それでは、具体的に、道徳律とは
どういったものでしょうか。
例えば、
ア・ヒンサ
という戒律があります。
これは直訳すると
非暴力
つまり、
誰一人として傷つけず、ご自身も少しも傷つけない生き方
ということになります。
子どものころから、
人を傷つけてはいけない、
人に迷惑をかけてはいけない
と言われ育ってきた方は多いのではないでしょうか。
それでは、ご自身は?
ヨガでは、自分自身を大切にすることも
非常に重要視しています。
私は、いい人になればなるほど
心の中は汚れていくような気がして、
すごく悩んでいた時期があったので、
この考えにすごく感銘を受けました。
と同時に、
言っていることは素晴らしい。
でも現実には難しくないかなぁ(*´Д`)
と思ったことも事実でした。
だって、側にいるだけで、
自分を傷つけてくる人もいるでしょ?
とずっと思っていました。
そして、その答えは、ブッタの言葉の中にありました。
「もしも、汝が賢明で協同し礼儀正しい明敏な同伴者を得たならば、
あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて
彼らとともに歩め。
しかしもしも汝が、
汝が賢明で協同し礼儀正しい明敏な同伴者を得ないならば、(略)
犀の角のようにただ独り歩め。」
つまり、良い仲間を得たならば、一緒に歩めばいいけれど、
良い仲間を得ないならば、
たった一人で歩みなさい。
とそういっているのです!
そう。
上座仏教(ヨガ)は、
決して博愛的ではない
のです。
でも、日本社会で生きていく中で、
そんな考え方がはたして通用するのだろうか。
と考えていた時期もあります。
そんな時、とあるヨガのインストラクターから言われた言葉を思い出しました。
「あなたは、もっと自分の幸せに責任を持たなければいけない。
人のことを考える前に、自分がどうしたいのか、もっと真剣に考えなければいけない。
あなたが、誰かを可哀そうだと思っても、その人は救われないし、そもそも
その人は可哀そうではないのかもしれない。
なのに、あなたが、その人のことを可哀そうだと思うことで、
その人は本当に可哀そうな人になってしまう。」
この言葉を聞いたときは、
ずいぶん厳しいことをいう先生だな。
大体、後半部分わけがわからん。
(※後半部分に関しては、また今度説明します。)
と思っていたのですが、
数年後に思い出して、
すごく納得したのを覚えています。
There is no free lunch.
という英語の諺があります。
日本語にすると、
ダタ飯食いはない。
ということになるのでしょうか。
自分らしく生きる時、
誤解されることも
嫌われることも
孤独を感じることも
あるかもしれません。
自由を手にすると同時に、
何かを捨てなければいけない
こともあるかもしれません。
それが嫌なら、今のままでいいし、
それであっても、現状を変えたいと思うなら、
変えればいい。
でも、それを自分の意思で行わない限り、
全てのことを人のせいにして、一生を終えるのだと、
この言葉を思い出して、直感的に思いました。
そして、私の出した答えは、
自分に嘘をつかないで、
生きていこう。
自分を大切にして、
人も大切にして
生きていこう。
難しいかもしれないけれど、
やってみよう。
ということでした。
それでは、そのように生きるためには、
何が必要で、どうしていけばいいのでしょうか。
その続きは、また次回。
明日からも素晴らしい一週間でありますように。
maki