こんにちは
ヨガサロンひよこ🐥インストラクター
kayです
kay ニューヨークでヨガをする
がまだ途中ですが
昨日の大地礼拝のクラスの時に
八支則
について触れましたのでそれについて少し
書いてみたいと思います
⭐︎
このブログでわたしを含め.、いろんなイントラが八支則を紹介しているので、そのワードには馴染みがあると思われます
八支則とは、ヨーガ哲学の基本となる8つの教えであり
聖者パタンジャリによるヨーガスートラで
その詳細、方法が描かれています
ヤマ
ニヤマ
アサナ
プラーナヤーマ
プラティヤハラ
そして、この五段階目のプラティヤハラについて、クラスの冒頭でお話をさせていただきました
🤲
この段階は、感覚の制御 五感の制御
完全なリラックス
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚
という五感から離れて
自分の内側に向かって意識を向け続けるプラティヤハラ
次に来る完全なる集中の段階へ行く準備
そして、その次にディヤーナ という瞑想の段階があるのですが
そこに向かうための準備をする。
その完全なる集中の先の瞑想に向かうための段階です
🤲
全てはサマディに辿り着くために
★サマディについては、また今度述べます
🤲
そしてサマディに辿り着く前の、 瞑想に行くためのものであります。
この八支則とは
その前の段階をクリアできなければ
次へ進めないというように考えられています
そして、私の先生は
この感覚制御や集中とは生半可なものではないと言います。たとえば超集中状態においては
たとえ、今、この時間に見たことのないような大きさのゴキブリが現れようが
大きな地震が起きようが
動ぜず
いや、集中しているからそこにも意識が向かないとおっしゃいました
🤲
その時、わたしの脳裏にキラっと光る閃きがありました。
それは小学生からずっと読み込んだ
ガラスの仮面【漫画】についてのワンシーンでのこと
注】ガラスの仮面とは、主人公である天才的な演技の才能を持つ北島マヤが、指導者、月影千草から見込まれて、ライバル姫川亜弓とともに幻の名作、”紅天女”を目指し、女優としても人間としても成長を遂げていくという、すんごい長い、終わりのないマンガなのである。
主人公北島マヤが、ヘレンケラーに扮する役を行なっていた時だったと記憶している
【間違えていたらごめんなさい。このようなシーンはいろんなところに出てくるのだ】
マヤの演技中
誰かが舞台裏で、壺かなんかを大きな音を立てて割ってしまった
その時でさえ、マヤは全く動ぜず、ピクリともせずにヘレンケラーになっていた
ヘレンケラーは目や耳が聞こえないから
大きな音を立てても聞こえないはず
でも人間は急に大きな音やアクシデントでビクッとしちゃうもんですよね
それなのにマヤ。。
そんなアクシデントがあっても、その演技の仮面は取れることなく、演技を続けていた
恐ろしい子
と月影先生に言わしめさせるのも
無理はなかろう
とすると、マヤはもしかしたら
プラティヤハラやダーラナを習得していたのかな?
と、その時の私は閃いたのだ
いや、その感覚制御や集中は
瞑想やサマディのためのものであるから、マヤ演技というよりヘレンケラーそのものになりきっていたので、プラティヤハラやダーラナとは別なものなのか??
などと、また脳内で
ガラかめ【ガラスの仮面の略】
について思いを馳せていたら
先生に
kayさん、今どこか遠くに行ってましたね
と苦言を呈されたことは
言わなくてもよいであろう
🤲
きっと口をポカンと開けて
kayさんはまた、どこか遠くに彷徨ってるな
と思ったのであろう。
哲学の授業中に
ガラスの仮面の世界に浸っているとは、先生も気づいていないかな 笑
先生からすると
この崇高なヨガの哲学の授業中に
八支則の教えを
まさかのガラスの仮面とリンクさせている私
それこそ
恐ろしい子
かもしれません
とにかく修行が足りません
でも、この哲学についても
最初は全く意味がわからなかったのですが
学ぶチャンスを設けると
それは
人生にとって意味のある
興味深い
面白い学びとなります
たくさん勉強していつかワークショップとかやりたいなぁー!
みなさんと一緒にヨガができること
心から
心から
楽しみにしてます
♡
すぐに
kayニューヨークでヨガをする
もアップします❤️
そちらもよろしくお願いします
忙しい毎日を送っていると心に余裕がなくなり小さなことでイライラしたり、自分を見失うことがあります。
本来の自分に出会うために、シンプルに[感じること]をすると、生きている喜びや世界に対しての感謝の気持ちが溢れてきます。
心や体の力を抜き人生を楽しめるようになるかもしれません。
いつも一緒にいてくれる自分の心や体とじっくり向き合う時間を一緒に作ってみませんか?